日本の森林問題は、スギ問題だと認識している

ちょっと長い。

日本の森林問題は、スギ問題だと認識している。私の気に入りの、恩師の記事を紹介したい。

笠木和雄(東京大学農学部卒、名古屋木材(株)元会長)氏、 月刊ウッドミック掲載記事から抜粋。

スギはすくすくと「真っ直ぐ」で成長は速く寿命は長い。そして真っ直ぐに割り(剥ぎ)やすい。この「真っ直ぐ」がスギの語源だと言われてている。樹木としての年輪は早材と晩材の区別がはっきりしていて、早材の細胞は大形で細胞壁が薄い。従って全乾重量は小さく、その割に材にはまあまあの強度があり、加工し易い。柱や梁といった構造材にも使われるが、柿(こけら)葺き屋根から下見板・内壁・外壁・天井・床・建具・家具・下駄から箸まで使われる。まだ合板の無かった時代に”幅の広い薄板”が作れるスギの用途は、大きく広がる。

更にもう一つのスギの大きな特微は、柾目方向に水分が移動しにくいことだ。杉の柱や梁など大断面材の人工乾燥は大変難しい。しかしスギ材のこのような性質は、桶や樽を造るのには最適である。大樽から手桶、たらいまで、密閉できる、蓋も簡単に作れるし、水をいれて運べる容器として、こんな軽くて具合の良いものは世界中に他にない。特に水気のある食品関連の味噌・醤油・酒・酢・油・漬物・渋柿では、長い間、我々先祖の生活を支えてくれた。

汚穢船とスギ樽

圧巻は、江戸(東京)の下町で集めた汚物を肥桶・担桶(たご)で回収し、「おわい船」に乗せて川を遡る。昭和まで続いた懐かしい光景だった。東京下町と郊外から埼玉・茨城に続く広い田畠との壮大なリサイクルであった。

1800年代初めに日本へ来た外人が江戸の町の立派さに驚いたという話がある。奈良の都やそれ以前の都は、汚物の処理が出来ずに遷都せざるを得なかったが、京都と江戸とが長続きしたのは、このリサイクルがうまく機能していたお蔭だろう。他方で、東京の下水道の普及が遅くなったのもそのせいかもしれない。

スギの校舎

明治以来、100年余り、わが国の近代化と発展にもスギは大きな貢献をした。識字率の向上と初等教育の普及に寄与したのはスギで作った学校であったろう。そう難しい木造技術を使わなくても、スギの校舎は造れた。スギ板の廊下を濡れ雑巾で拭いた記憶を持つ人も今では少なくなった。

スギ細丸太

電気が驚くほどの速度で全国に行き渡ったのはスギの電柱のお蔭で、真っ直ぐで長い材が簡単に入る日本を羨んだ国もあっただろう。電柱用はかなりの太さの材が必要だがスギ、ヒノキの間伐材など細いものは足場丸太として使われた。

建設会社や工務店の裏手によく屋根より高く6mの細丸太が掛けてあるのが見られた。戦後の復興と建設はスギの足場丸太とラワンの型枠合板のお蔭であると言える。

こうして我々の先祖は柱、梁、天井、床、建具、家具、などの住むところから食生活のあらゆる場面に至るまで、スギの厄介になっていた。それが、アッ、という間もなく、スギが使われていたほぼ全てのものが、鉄、アルミ、プラスチックを始めとする他の材料に置き換わってしまった。工芸用のほか、味噌、醤油の発酵熟成用の樽などどうしてもスギでなければならない物もない訳ではないが、探すのも大変である。

以下は、次投稿の元原稿をお読みください。


下図は、季刊 自然と文化 より。

写真の説明はありません。

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